自虐・自己処罰

自己処罰は快感を伴う。なぜならそれがストレスのはけ口になるからだ。そこには加害者である自分を安全圏に置いたまま相手を叩きのめすことができるという意味で、虐待と同じ心理がある。世の中でもっともたやすい批判対象は自分自身だ。対象が自分自身なら相手に反論されて歯痒い思いをする心配もない。好きなだけ相手を叩けるし、それがどれだけ過酷であろうと相手は逃げない。逃げないだけでなく相手が苦しむ様も流した血もすべてを100%感じることができる。しかも加害者である自分の罪を問われることはなく、被害者である自分を擁護する公平なジャッジは期待できない。望むだけ相手をいたぶって溜飲を下げることができる、最も容易で最も効果の高い虐待、それが自己処罰だ。

また自己処罰は、批判することで一定の達成感を得ることができる。現状は何も変わっていないとしても、問題点を把握し指摘できているという認識は物事の進展であるかのような錯覚を与える。それはいたらない自分、不甲斐ない自分に耐えられない彼が退避することのできる束の間の安息の地として働く。

ああ、これは衝撃的だ。そうか、そうだったのか…確かにそうだ。

自分を非難することは、"他人は" 誰も傷つけない暴力の発露ですね。その暴力を完全に正当化できる。しかも「正義」を振りかざす必要も、「責任」を負う必要もない。誰も反論できないし、その必要すら感じさせない。あるとすれば、せいぜい不快感ぐらいのものだし、それを当人に向って表明することは、「感情に基づく異端排除」と非難されるリスクさえある。

何だか、今まで俺は大きな勘違いをしていたような気がします。「問題点を把握し指摘できているという認識」と「物事の進展であるかのような錯覚」で、「俺ってしっかり自己分析/自己認識してるぜ」とか「自分の悪いところを分かってる俺は、賢い」という感覚になっていました。

ああ、「スネるな」ってこういうことなのね。俺のやってたのは自傷行為だったんだなぁ…。心のどこかではいわゆる「リストカット少女」みたいなのをバカにしていたのに、俺自身、精神的には同じだったんですな。

今後、非モテネタの取り扱いには注意が必要です。気を付けなければ。