ルッキズム

もてない男非モテ男性も、女性を外見で選別しているのではないか、とは、非モテ言説に対し、よく言われる反論です。
電波男で強く主張されている「萌え」にしたって、対象の外見に魅力を感じているだけではないか、という言説もよく見かけます。

さて、これから展開する話は、いつものごとく、俺の「主観たっぷり節」ですので、主語は「非モテ」や「もてない男」ではなく、「俺」とすることにします。
もちろん、俺はそれらの属性を持つ人物ですので、そこから話を一般化するのは、読む方のご裁量にお任せします。
ただし、「萌え」については門外漢ですので、そのことはご了承おき下さい。

俺は、各地で主張しているように*1、「外見で他人の魅力を云々すること」は、本能的行動であり、仕方のないことだと思っています。
ですので、それが「あってはならないこと」だとは考えていません。むしろ、外見も魅力の一つであると考えます。

ただし、それは飽くまでも、数ある魅力のうちの一つでしかなく、しかも、本能にうったえかけてくるという点においては、なかでも最も危険な部類に入るのではないでしょうか。

それほどまでに危険な、この外見的魅力に抵抗を覚えることもなく、安易に身をまかせてしまうということに対して、俺は底知れぬ恐怖を感じずにはいられません。

ひょっとすると、最も代表的な非モテ的気質というのは、本能―あるいは「本能的なもの」―に対する恐怖心なのかも知れません。

(つづく)

*1:コメント投稿先の管理者の皆さま、場の空気にそぐわない長文投稿をお許し下さい…