本日のご予定

現在自宅。今から昼食をとって、メガネを買いに天王寺へお出かけ。フレームが壊れてしまったので、フレームのみ購入予定。いつものごとく高橋メガネに行く予定。

あとは、家にいると色んなものに気が散るので、俺のふるさと「Rompoo café」でくつろぎながら、サークルクラッシャーについて色々と物すとします。

やはり、キーとなるのは、以下の内容かと…

サークルクラッシャー」とか「中二病」とかの話題を見てても凄く思うのですが、「結局ルサンチマンだよねw」「結局僻みだよねw」「現実を見ようとしてないんだよねw」のような線引き、断絶の顕在化をしてしまえば「いいこと言った感じ?」で終わってしまう、いやそりゃ差別する側、疎外する側、弾圧する側、抑圧する側から見ればそれで充分なのでしょうが、では線引きした向こうに実際に存在するキモメンはいかに生きていくか(あるいは死んでいくか)、という最も深刻な問題はいつもほったらかし、私には関係ないから無視して結構、私たちが楽しければ<他者>が苦しもうがどうでもいい、というふうな態度をとられると

('A`)

いやもういいです、好きにしてください。いじめる側にはいじめられる側の気持ちはわかるはずがないでしょうし。

ネタ元は、喪男板のピックアップでおなじみ、「夏の葬列」2004-04-24より。

今度のタイトルはハインラインでいくぞ、と。

あと、id:otokinokiさん、「ラヂオ部」ではなくて「ラヂヲ部」です。そういうしょーもないところにこだわるのがラヂヲ部魂なわけですが、ともあれ、ラヂヲという名が示す通り、元々は無線部です。ただ、俺が在籍していた当時(1992-1995)はもう、無線の免許を持っている人は一つ上に数人いるだけで、主な活動はパソコンを用いたエンターテイメントになっていました。いや、実際のところ、活動の実態なんてのはなくて、ホント、究極超人あ〜る光画部そのままだったわけです(さすがにアンドロイドはいませんでしたが…)。

そんな部活において、id:kapibaraさんと俺とを含む、男4人、女2人が同期として在籍していました。もっとも、1年から3年まで通してフルタイムで部員だったのは俺だけで、あとのみなさんは、途中から入ってきたり、いなくなったり、また帰ってきたりと、それなりに出入りがありました。そんななか、俺は鳥坂先輩よろしく独裁政権を打ち立てていたという背景があります。

最盛期(1993年、俺が2年の時です)には、部員数20名超の大所帯になり、ブラスバンド部に次いで2番目に大きな文化部となっていました。その数の力を利用して、活動していない部活を乗っ取っとって部援助費をせしめたり、文化祭の援助費のために、ひたすら領収書をコレクトしたりと、まあ、よくある話ですね。この頃は、毎日が祭でした。ラヂヲ部がなければ、俺は多分不登校になっていたでしょう。実際、その後の大学生活では、超郊外キャンパスで学生の生態系が完全におかしいところだったので、めぼしいサークルがなかったということもあり、そういう活動はできず、結果としてほとんど大学には行くことがありませんでしたから…。

ラヂヲ部については、本家のサイトの方で、当時のことをぽつぽつと語りはじめているので、よかったらそちらもご参照下さい。とはいえ、まだまだ序章止まりですが。

BrettSpieler.Japan ラヂヲ部カテゴリ
http://www.brettspieler.jp/category/18