ともだちスイッチ

みんなのために」勝手に企画を立てておいて「それに参加しないって事は、あなたは友達じゃないですね」とか言って責める「友達」がいて、都合が合わないのを「ああそうそんなに私のことが嫌いなんですね」とか言ったりして、だからって無理して合わせてても「喜んでもらえて嬉しい」言ったりして「無理」されてることに無自覚で(というか、他人に無理させる強制力のある自分って人望あるよね!と自画自賛したいのかも?)、という感じの「友達」

ああああ、俺だー。俺がいるぞー。

昔、ボードゲームの会を主宰したり、ミニコミを出したり*1してた頃の俺が、この「友達」状態ですよ。ああ。

いや、ラヂヲ部時代もそうですね。

俺の周りから誰もいなくなった今、ようやくそういう「重い思い」からは開放されかけているところですね。

俺の場合、「他人に無理させる強制力のある自分って人望あるよね!と自画自賛したい」なんてことは絶対にありませんが、要するに、「人との距離感」が分からないんですよね。

「人付き合いのスイッチ」みたいなものを仮定すると、俺に備わっているのは、ON/OFFしかない「トグルスイッチ」なわけですよ。もちろん、出力はMAXかMINしかあり得ません。

ところが、「ふつうのひと」に備わっているのは、可変抵抗の「ボリュームスイッチ」なんですよね…だからMAX/MIN間の細かい出力調節が可能というわけで、そのうえ、なかには、素晴らしい出力調整機構を持つコプロセッサが搭載されている人までいる始末。これが俺との決定的な差なわけですよ。

今ではそこまで入れ込むことはなくなりましたが、とにかくヒマを持て余していたあの頃は、企画を立てて、そこに自分の全てを傾けることに「生きがい」を感じていたのです…それこそ、寝る時間以外の全てをそこに注ぎ込みましたから。

で、やりすぎると、「俺がここまでやっているのに、お前らは何だ!」となっちゃうわけですね。自分で勝手にそれ以外のことを全部放り出してるくせに、その犠牲に「報い」がないと今までの「情熱」が「怒り」に変換されてしまうんですよ。

企画が成功したらまあ、何とかおさまりもするでしょうけど、往々にしてそんな「意気込み」だけの独りよがりなんてのが成功するわけもなく、見るも無残な結末を迎えるわけですねこれが。

せめて、その「意気込みだけのヤツ」が複数人いれば、リスクも分散するんでしょうけど、俺なんかの場合は、結局のところ「俺が俺が」で全部独りでやりたがり、リスクをすべてかぶっちゃう、と。

で、「なんでお前らももっと情熱を注ぎ込まないんだ!おかげで俺ばかりがボロボロだ!」なんてことになるわけです。

うわー、我ながら酷い。

でも、俺の人間関係っていつもこれです。「All or Nothing」…ONとOFFしかありません。異性なら「恋人」か「他人」、同性なら「親友」か「他人」、そして例外としての「親族」ぐらいなもんですね。

そもそもの間違いは、「自分が全力だからといって、相手にも全力を求めてはならない」のに、それをやっちゃう、ということなんでしょうね。

参考

ARTIFACT@ハテナ系 2004-12-10
男オタクの脳内の女フォルダは「他人」「親族」「彼女」しかない
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20041210/folder

*1:代表者は俺じゃなかったけど、それはまあ、責任逃れ&実務集中という名目もあったりして…。