恋愛資本主義とオタク資本主義と色んなもの

俺が、「萌え」に対して抱いている違和感というのは、個人的な好き嫌いに基づくものでしかないので、それはどうでも良いんですが、そんなことよりも、オタクコミュニティや理系コミュニティなど、「非モテ」と称されることの多いコミュニティに対して抱く違和感というのは、恋愛資本主義に対して抱く違和感と同質のものなんですよね。

結局、そこにあるのは、能力主義でしかない、ということで。

恋愛資本主義が圧倒的多数を占める「一般社会」コミュニティでは敗残者の人も、別のコミュニティでは勝者として輝ける、というだけで、それじゃあ、そこでも敗残者になる人はどうなるのよ、と。

俺はオタクです。確かにオタクではありますが、オタクコミュニティでも、勝ち残ることなんてできやしません。同好の友人(オタク仲間)なんて無いに等しいし、そもそもオタクであるかないかに関わらず、友人なんていません。それよりも、どういうわけか嫌われることの方が多いくらいです。

恋愛というシステムが俺を幸せにしてくれないのと同じくらい、オタクというシステムも俺を幸せにはしてくれません。むしろ、恋愛社会はそこから背を向けることさえすれば、見なくてすみますが、オタク社会は、自分の好きなもののコミュニティだけに、逃げることすらできません。

考えてみれば、オタク社会というのも、熾烈な競争社会です。知識の多寡や描画能力等による序列は、一般社会なんかよりよっぽど明確です。

恋愛社会で負けたからといって、オタク社会でなら幸せになれるとは限らないのではないでしょうか。

むしろ俺は、競争自体をやめてしまいたい。モテる/モテないとか、裕福/貧乏とか、絵が上手い/下手とか、そういう、一切の競争から開放されたい。

だから別に、モテたいわけじゃあ、ないんです。自分が、愛ある生活で幸せを感じることができれば、それだけで充分です。そういう意味では「自分さえ良ければ、他はどうでも良い」とさえ思います。

そのため、非モテコミュニティにおいて、俺は一切の争いごとをしたくありません。「非モテ」の解釈や定義、モテへの攻撃、足の引っ張り合い、不幸自慢、負け犬女性や女性全般との闘争、その他諸々の「争いごと」は、これを全て放棄することをここに宣言します。