非モテとは物語の不在なり

非モテの恐ろしいところは、その不可視性にあるのではないかと思います。

とにかく、目立たない、というか相手にされない。恋愛だけに限定するなら、ハナから対象として見られない、存在しないものとして扱われる。

確かに、「非モテ」といってもピンキリですから、相手にされないだけでなく、とことん嫌われる非モテも要るでしょう。

ですが、「嫌われる」というのはある意味まだ恵まれているのかもしれません。これは個人の好みの問題なのかもしれませんが、少なくとも俺は「無視される」よりは「嫌われる」方がマシです。まあ、所詮は五十歩百歩といったところなのかもしれませんが…。

もし、非モテ度を測定できる非モテスカウターのようなものがあれば、モテサイヤ人ナッパのスカウターを壊すのは、キモメンではなくて、フツメンではないかと思うのですよ。

まあ、何が一番非モテかということを追究することに大した意味があるとは思えませんが(それよりも、どうしたら非モテが救済されるかを追究した方が良いですね…)、非モテをネタに転化できたり、それをウリにメジャーになったり、それも一つの「脱・非モテ」だとは思いますが、それではその当人以外は救われようもないな、と。

もちろん、俺も本音は「自分が、自分こそが幸せになりたい」と思っていますから、穏やかで、愛ある生活を送れるなら、どんな方法であっても選択するとは思います。でも、同時に、今までの人生において、どのコミュニティにも落ち着くことはできず、流れ流れてどうやらこの「非モテコミュニティ」というものに定住しそうだということを実感している今、「非モテコミュニティ」の役に立つことを、何か一つくらいはしてみたいのです。

それこそが、「非モテが、非モテのまま、救済される方法の探究」なのです。

今まで、俺の知る限りでは、非モテが救済されるには、愛を得て「脱・非モテ*1」をするか、非モテ道を突き抜けて、特殊例になり、それでもってメジャーに返り咲き*2をするか、二つに一つしか見たことがありません。

つまるところ、プラスにせよ、マイナスにせよ、絶対値を増やして目立ったものが救われるという構造なのです。そう、非モテの極致というのは、マイナスの無限大ではなく、0なのです。俺が思うに、非モテを言い表すのに一番しっくりくる言葉は「半端者」です。なーんにも得られず、なーんにも、ない。「ゼロ」の状態、それが非モテの極致なのです。

だからこそ、そこから脱出するには、プラスにせよマイナスにせよ、何らかの物語を得て、人生に彩りを加えることになるのです。プラスの場合なら、仕事で成功を収め出世するとか、マイナスの場合なら、過去のトラウマを発動し、メンヘラーな自分を演出するとか。

でも、それじゃあ、非モテである限り、絶対に幸せになれないのか、そもそも、非モテとはあらかじめ救われるべき存在であるのか、結局、何もしないからこそ非モテになったのに、何もしないことがそんなに不幸なことなのか、このまま、現状維持で、何とか幸せになる方法はないのか。

非モテ」という階層すべてが、等しく幸せになれる、普遍的な方法を発見すること、それが、俺の欲してやまないことです。

*1:=「モテ」になる、ということではない点にご注意!

*2:電波男』のしろはた本田氏なんかはこの部類だと思います。彼はまだ救われたわけではないかもしれませんが…